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「あの人の○○が理解できない」≒「文脈の解読不足」

この記事の続きです。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

「人はわからない。」

それは、「ジョハリの窓」で説明がつきそうです。

個人の情報は、オープンな情報である「解放」、本人のみが知っている「秘密」、他人だけは気づいている「盲点」、誰も知らない「未知」の4つの領域があるわけです。

 

 

なぜ国語の問題では「人物の気持ち」が問われるのでしょう。

国語が大嫌いだった理系人間の僕が、社会人になるまで気づけなかったのですが、「文脈」をたどることで意味が「固定」されていくからだと今は理解しています。

つまりは、国語の問題には「答え」があるということです。

 

 

シニフィエシニフィアンの考え方に近いと思います。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

つまり、「あの人わからない」のは、

≒「文脈の解読不足」

であると考えられます。

 

その人の文脈(≒人生)を辿らなければ問題は解けない、それは国語と同じではないでしょうか。

 

 

つまりは「対話」「話し合い」がやはり大事だと思うのです。

つづく