この記事の続きです。
「人はわからない。」
それは、「ジョハリの窓」で説明がつきそうです。
個人の情報は、オープンな情報である「解放」、本人のみが知っている「秘密」、他人だけは気づいている「盲点」、誰も知らない「未知」の4つの領域があるわけです。
なぜ国語の問題では「人物の気持ち」が問われるのでしょう。
国語が大嫌いだった理系人間の僕が、社会人になるまで気づけなかったのですが、「文脈」をたどることで意味が「固定」されていくからだと今は理解しています。
つまりは、国語の問題には「答え」があるということです。
つまり、「あの人わからない」のは、
≒「文脈の解読不足」
であると考えられます。
その人の文脈(≒人生)を辿らなければ問題は解けない、それは国語と同じではないでしょうか。
つまりは「対話」「話し合い」がやはり大事だと思うのです。
つづく