この記事はフラクタルと関係があるので、以下参考にして頂けると幸いです。
マクロからミクロを捉えることはナンセンスだと僕は見てます。
というのも、ミクロ経済学は、僕からしたら「マクロ」な経済学で、本当にミクロだと思うのは「行動経済学」だと思っているからです。
この話は、僕の考え方の根本である、「世の中はフラクタル構造」をもとに書きます。
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「部分の総和 ≠ 全体」
と考えるのがゲシュタルトの考え方です。
これは、♪の連続体、複合体が音楽となり、感動やリラクゼーションなど、付加価値を生んでいることから、現実的な感覚でもわかることです。
つまりは、いきなり全体から部分を見たところで、部分を綿密に見ることはできない、と考えます。
大局的、とは物事を俯瞰する、という意味と似ていますが、そもそも、全体という概念自体に、欠損を感じます。それは厳密には全体ではないと思います。
細部から理論や体系を構築し、本来の意味とは異なる「全体」をおさえてから「部分」を眺める。
これが本質ではないでしょうか。
つづく