人生は草!

読書と哲学。大学院入試日記

けちけちしていると人生は味気ないものとなる

れは僕の考えです。

無目的でお金の倹約に勤しむ人に対して、僕は(?)です。

もちろん、人の自由なのですが、間違いなく死ぬまで質素な生活になります。それって楽しいですか?くらいは言わせて下さい。

 

古典には倹約生活を擁護するものが多い印象があります。

ただ、これ程までに社会が激変した以上は、古典の内容が真理だとは思えません。

 

本題です。

この議論には「価値とは何か」という深いテーマまで掘り下げる必要がありそうなのですが、難しく考える必要はありません。「差異」の概念で解決できそうです。僕の考えでは、「価値」も「差異」で決まると考えます。

 

考えてみてください。100円で買える「価値」と、10万円で買える「価値」との「差異」は同等でしょうか。

もし同等と言えるならば、その根拠は何でしょうか。機会という言葉を用いて説明して頂きたいです。

 

僕は、同等ではないと考えます。

価値とは何か、を考えるのではなく、差異はどの程度あるのか、と考えるべきなのです。

 

価値=価格が正しければ、その差異は明確で、10万円は100円の1000倍の価値がありますよね。

価値が価格と一致しない場合は、どうでしょうか。その時の「価値」とはいかなるものなのか。

 

「生きる価値」

価値=意義となった場合ですね。

 

「オレの人生にお金は関係ない。生きる価値はお金と関係ない。」

最もだと思います。

 

こういう方の主張する「意義」とは何でしょうか。

人を大切にする、家族を大切にする。こういうことでしょうか。

 

うむ。確かにお金に左右されない生き方は立派です。

 

ではこういう意見はどうでしょうか。

「好奇心が人生を楽しいものにする。」

 

この方にはどう響くでしょうか。

例えば、世界を旅するにはお金が必要です。

 

目の前の状況に有難みを感じる。感謝を大切にする。もちろんです。

ただ、幸せな人生と好奇心は切り離せるものでしょうか。

これは議論するに値する問題だと感じます。心理学においては、好奇心と幸せに関係があるという意見が出ています。

 

好奇心が人生を豊かにするならば、やはり最低限の「お金」、または投資はあるべきではないでしょうか。

 

僕はそこについて、倹約家の方には一度考えてみては?と問うてみたいところです。