シニフィアンとシニフィエの話は僕にとって強烈であった。
その後も僕はあらゆることに「差異」という概念を当てはめて考えてきた。
善と悪は差異で決まる。
人のアイデンティティも差異で決まる。
そもそも、「相対的」とは差異のことだ。
それほど「差異」という言葉の持つ力は大きい。
倫理学という学問も、差異で説明がつかないか?僕の思い上がりなのか?
ある行為が正しいか、悪いかなんてただの「差異」に過ぎない。
グラデーション。
二元論で物事を考える人は絶対につまづく。
だから「差異」で考えることが大事なのだということに、ようやく僕は気づいた。