人生は草!

読書と哲学。大学院入試日記

意味のないことを考える意味。結論あり。読了目安:約3~5分。

さて。

「意味のないこと」

とは何か。

ことを「行為」とする。

 

命題「意味のない行為は存在する。」

 

例えば、1万円札をくちゃくちゃにして池に投げる。

「諭吉のバカヤローーーーーーー!!」

 

それでも、お金を捨てること=無意味であるとは言えないような気がする。

これを気にお金を大切にするかもしれない。

逆に、「無意味」とは何か。それを考えると次は、

「意味は何によって定まるのか」

という問いが生まれる。

 

こういう時は極端なことを考える。

宇宙の果てで、「チリが1ミリ動いた。」

これに意味はあるのかどうか。

ははん。なんとなくわかってきたぞ、と。

 

誰にとって、それは意味があるのか。

こういう話にならないだろうか。

 

つまり、意味が発生した時、そこには意味を享受する存在がある。

そして問いが変わる。

じゃあ、存在とは何か。

めんどくさいけど、とりあえずもう少し考えてみる。

 

「人間がいなかったら物質があるかなんてわからないから、存在は人間にかかってる」

みたいな主張をたまに目にする。これはおかしい。人間がいる前から地球はあったのでは。

 

存在とは何か。もはや物理学の世界になると思う。素粒子とかの話。

とりあえず、今は物質があるのだから、存在とは物質のことを指す。僕はそう考えていいと思う。空間は存在なのか?何故存在するのか?という問いはここでは関係ないと思われるので、割愛。

 

物質と意味。話が進みました、と。(FF7、タークスレノ風に)

 

僕の勝手な主観ではあるが、意味とはただ人間の考えた「概念」であると僕は考えるので、ただの言語ゲームに似ているなと感じるとことがある。

「具体」「抽象」といった言葉は、端的に言えば人間が生活しやすいように考えた言葉。

 

意味があるかどうか。そんなの人間のエゴでは?

意味と「損得勘定」は近いものを感じる。

絶対損することを「意味ねえ」と言う人がいるので。

 

そして、言語学的にいえば、やはり言葉の「意味」は言葉の「差異」で決まるで、「意味」という言葉も実は何かの言葉によって定まっていると考えられる。

言語の意味は循環する。とりあえず、人間の世界ではそうなっている。と僕は考える。

 

ここで要約話がまとまってきた。

「意味のない行為」とは、定義ができない。

何故なら、「意味」という言葉がまず定義なされていなければならないから。

そして、「意味」という言葉の定義は理論的に不可能であると思われる。

 

よって、「意味のないこと」は存在しない。

つまり意味のないことを考えることはできない。命題は偽である。

 

何か意見があればどうぞ、コメントを下さい。

来年、哲学科への大学院入学を検討しているので、僕の考えの甘さを認識したいのです。