さて。
「意味のないこと」
とは何か。
ことを「行為」とする。
命題「意味のない行為は存在する。」
例えば、1万円札をくちゃくちゃにして池に投げる。
「諭吉のバカヤローーーーーーー!!」
それでも、お金を捨てること=無意味であるとは言えないような気がする。
これを気にお金を大切にするかもしれない。
逆に、「無意味」とは何か。それを考えると次は、
「意味は何によって定まるのか」
という問いが生まれる。
こういう時は極端なことを考える。
宇宙の果てで、「チリが1ミリ動いた。」
これに意味はあるのかどうか。
ははん。なんとなくわかってきたぞ、と。
誰にとって、それは意味があるのか。
こういう話にならないだろうか。
つまり、意味が発生した時、そこには意味を享受する存在がある。
そして問いが変わる。
じゃあ、存在とは何か。
めんどくさいけど、とりあえずもう少し考えてみる。
「人間がいなかったら物質があるかなんてわからないから、存在は人間にかかってる」
みたいな主張をたまに目にする。これはおかしい。人間がいる前から地球はあったのでは。
存在とは何か。もはや物理学の世界になると思う。素粒子とかの話。
とりあえず、今は物質があるのだから、存在とは物質のことを指す。僕はそう考えていいと思う。空間は存在なのか?何故存在するのか?という問いはここでは関係ないと思われるので、割愛。
物質と意味。話が進みました、と。(FF7、タークスレノ風に)
僕の勝手な主観ではあるが、意味とはただ人間の考えた「概念」であると僕は考えるので、ただの言語ゲームに似ているなと感じるとことがある。
「具体」「抽象」といった言葉は、端的に言えば人間が生活しやすいように考えた言葉。
意味があるかどうか。そんなの人間のエゴでは?
意味と「損得勘定」は近いものを感じる。
絶対損することを「意味ねえ」と言う人がいるので。
そして、言語学的にいえば、やはり言葉の「意味」は言葉の「差異」で決まるで、「意味」という言葉も実は何かの言葉によって定まっていると考えられる。
言語の意味は循環する。とりあえず、人間の世界ではそうなっている。と僕は考える。
ここで要約話がまとまってきた。
「意味のない行為」とは、定義ができない。
何故なら、「意味」という言葉がまず定義なされていなければならないから。
そして、「意味」という言葉の定義は理論的に不可能であると思われる。
よって、「意味のないこと」は存在しない。
つまり意味のないことを考えることはできない。命題は偽である。
何か意見があればどうぞ、コメントを下さい。
来年、哲学科への大学院入学を検討しているので、僕の考えの甘さを認識したいのです。