思考の記録である。
記事としてはおそらくクソつまらない。
哲学に興味がある方が見てくれたらうれしいな。
テーマとしては、世の格差は無意識の行為によって勝手に生まれているのではないかという流れで行きます。
理性とは何か。考え始めたらきりがない。
ある程度単純に考えて、仮説にあてはめ、考察するという方向で話をすすめたい。
理性とは、ある意味損得勘定、すなわち「最大多数の最大幸福」=功利主義と仮定する。理性が何かはわからないが、理性は選択肢の中から選択できる能力がある。これは誰しも納得できる当たり前の事実だと思われる。クイズ番組の選択肢A~Dは理性が行う。ゆえに理性は選択できる。
理性は選択する能力がある。
次。
それは、意志なのか、操作されているのか。が問題だと思われる。
操作とは、「一見自分で選んでいるように見えるが、実は本能によって導かれてしまうこと」とする。
「今日はラーメン食おう」→→身体の塩分が少ないから、本能によってラーメン屋に「行かされる」と言える。
しかし、意志もありそうだ。ロト6の番号を本能が選ぶのだろうか。疑問である。
ゆえに、意志もあれば操作もあると言える。
「功利主義は選択に困る」
そのように論じてあったが、そうでもないみたいである。
映画『タイタニック』からすると、極限状態の時、人は功利主義になる傾向があると思われる。限られたボートには選ばれし一等、二等の乗客が優先された。彼らが「残るべき」存在とされた。恣意的だ。これこそ功利主義の象徴である。
意志だったのか、操作だったのか。ここでは結論は出ない。
格差問題に移る。
人にはなぜ格差があるのだろう。多様性があるからではないだろうか。
何故多様性があるのか。生物学的には、生存戦略だろう。みんな同じスペックだとみんな一緒に倒れておしまいである。
ハンターハンターのメルエムのセリフにもあったが、「人は多様性のありようを認めた。」と言える。つまり、生存確率が上がるけれども、多少の犠牲はあるよ、という話になると思う。多様性があることによって、個々の持つ社会的な価値がそれぞれ違う状況が生まれるのは仕方がないと言える。(顔の良しあし、頭のよしあしなど)
そもそも、結果的に人々は多様性を持つようになったので、理不尽は避けようがない。
そこで、福祉の登場だ。理不尽な不平等には手を差し出す。これが平等というもの。
実際、日本の障害者支援制度はかなり発達していると言える、障害者の方々が普通に電車に乗れる時代になった。障害年金制度もしっかりしている。
ただ。
理不尽とは何だろう。確認をしたい。
理不尽とは、「強制的に背負わされた負債」のようなものだ。本人のせいではない。
足がなければ、義足を提供し、生活が困難な場合は援助をする。
問題は、絶対的に理不尽とは言えないような、ある種の格差が存在しているということだ。
端的に言えば、医者の子供が医者になった。日雇いの子供が引っ越し屋さんになった。
こういうケースだ。
お金が全てとは言いたくないが、経済的な理由で医学部に入れないのであれば、こんな理不尽はないだろう。
しかし。問題が立ちはだかる。厚生の平等という概念だ。
端的に言えば、平凡な幸せ最高!という人がいれば、毎日パーティ最高!という人もいる。何に幸せを感じるのか。そして、その幸せを得るには本人の経済力で叶うのかどうかだ。
引っ越し屋さんでも、仕事終わり、仲間と一緒にビールを飲む。幸せ。めちゃくちゃ稼いでいるわけではないが、子供も作って幸せになれた。
一方、医者は、順調に出世していき、救急救命室長になった。毎日激務だが、子だくさん、人の命を救い、こんな素晴らしい人生はないと日々思っている。
厚生の平等という概念からすれば、ある種の格差は全く問題がない場合がある。もちろんひねくれた人が、不平等を理由にすねるかもしれない。
いろいろな手段を使って完璧に平等を成し遂げることはできるのだろうか。
論述が下手くそで恐縮だが、多様性は操作によって生まれたと考える。
人が「好き」という時は、「心がそうなっているから」好きなのである。
可愛いは作れるが、好きは作れない。本能の欲求をいじることは不可能である。
なので、人は流れに流されて、操作されたあげく、不平等が生まれたと思われる。
結論がでない・・・
だめだ、また練り直しします。
ただ、平等!平等!言ってても無駄ですよ、という壁があることは示せたかとは思う。
まとめ
・厚生の平等の概念によって無視される格差が存在する
そのため本人が満足している場合もあれば、不満を掲げる方もいる、つまり平等にはなっていない。厚生の平等は万能ではない。
・福祉である程度の不平等を解消できている
・多様性は操作された結果の産物
いや、一番言いたかったこと思い出しました。
操作されて生まれた多様性によって年間かなりの方がお亡くなり(遺伝子の不具合など)になっています。大局的にみると、生存戦略として選んだ多様性を認めるという行為は、本能が行った結果であり、人は無意識にいろんな命を奪っているという事実があるのです。
格差にはそのような複雑な性質があることだけ覚えて頂いたら幸いです。