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読書日記1139

読んだ本

谷川嘉浩/朱喜哲/杉谷和哉『ネガティブ・ケイパビリティで生きる』さくら舎 (2023)

モンテーニュ『エセーⅢ:社会と世界』中公クラシックス (2003)

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メモ (モンテーニュ『エセーⅢ:社会と世界』)

 

"悪事をすることがこれほど世間一般のことになっている時代では、無用のことしかないというのはほめていいことなのだ。" P342

 

"好運が良心と両立しないかのように、人びとは不運のなかにいないといい人間にならない。" P344

 

"富の程度は、収入の評価によってでなく、生活の仕方、労働の仕方によってきまってくる。" P347

 

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日記

 

本屋に行けば行くほど、日々新しいカタカナが流通しているように感じる。

自分は英単語ターゲット1900を全部覚えたので難なく読めるところであるが、わざわざカタカナで語られるというのは、学者たちが論文を作成する際に言語は英語で書かなければならないアカデミズムの状況を鑑みれば、普段から使っている言葉なのだなという想像が働くのでまあ仕方がないにせよ、これは一般向けの本としては出版社の読者に対する配慮が欠けていないだろうか。

 

 

コンサンプション、アテンション、インテンションインディヴィデュアルと、普通に英語で書けばいいものを、ただでさえ読みづらいカタカナではあまりにもややこしすぎてどうなのかと思ってしまう。

 

・・・

 

ネガティブ・ケイパビリティという言葉は本屋に行かなければ知ることはなかったように思う。

というよりも、こんな言葉を今日どこのだれが使っているのだろうか。

まだまだ浸透していない言葉だと思われる。

どうやら「結論は出さずに耐える能力」のニュアンスがあるようである。

 

 

本書によれば、人間は答えを出したがる(あるいは求めたがる)ので、そのような類いの、簡潔に答えを提示する言説は受けがいいのだという。また、陰謀論は複雑な世界をシンプルに説明することができてしまうので安易に信じてしまうのだという。

自分は陰謀論を完全には否定しない。というのも本書で説明されたように、哲学者ポパーが唱えた「反証可能性」のある言説だけが科学的だという実証主義は限界があるからである。

エビデンスと真理からは合理的な解決は導けないと本書に書かれている。

そもそも人間自体が矛盾した存在(自らの判断で合理的にも非合理的にも行動し得る)であるのと、価値観というものを定量化することは困難であるので、今日も政治哲学は議論が尽きないのだ。

 

 

つまり「簡単には答えが出ないということを受け入れる能力=ネガティブ・ケイパビリティ」はそんな世の中で重要な概念だというのが前半の内容であったが、これは納得できるものがあった。

ただ、理論と実践というのはなかなか一致しないもので、人々からあまり読まれない、閉鎖的な人文書がどこまで社会にインパクトを与えることができるのか、ということを考えればこれはなかなか難しいのではないかと (つまりは、ネガティブ・ケイパビリティの考え方を一般的な言論の場に普及させることは難しいということを) 考えさせられてしまう。

 

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