松岡正剛『フラジャイル』ちくま学芸文庫 (2005年) を読む。
フラジャイルとは英語の [ fragile ] に相当するものであり、「弱い」「壊れやすい」といった意味を持つ。
松岡氏いわく、弱さに隠れている何かに興味を抱く時期があった。
世の中は「強さ」に焦点をあてることが多いと感じていた。
生物学は何かと「強さ」で説明されることが多い。
弱肉強食や淘汰に関わるものは往々にして「強さ」の問題である。
しかし松岡氏は、「強さ」ではなく「強がり」ではないか、という視点で斬る。
松岡氏によれば、リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』はまさに「強がり」遺伝子の話であったとされる。
であれば「弱がり」遺伝子の話もあっては良いのではないか、と漏らす。
個人的には、近年ようやく出てきたようみえる。
まずルトガー・ブレグマンの『希望の歴史』である。
本書は性悪説に疑いを挟む本であった。
何故ネアンデルタール人は滅びたのか。
それは「ホモ・パピー」という、遺伝子的な「弱さ」によって説明できるとされた。
それを強化した本がリチャード・ランガム『善と悪のパラドックス』であった。
これはまさに逆説の法則である。
強さは弱さの裏返しで、弱さは強さの裏返しではないだろうか。
要するに、物事の判断は短絡的であってはならない、という教訓であるように思われる。
つづく