価値と希少性に関する考察のつづき。
僕は「所有」に引っ掛かりを感じる。
所有は「モノ」だけではない。
ジャニーズと1日過ごす権利。これは「他者の時間」の所有である。
希少性とは「差し出さない意思を崩すもの」と書いてきたが、どうだろうか。
「他者の時間」を「所有」するために「数百万円を差し出す」という、現象が発生した。
少しズレているかもしれない。
別の例を考える。
私たちは何か「モノ・コト」を享受する際に「お金を差し出す」必要がある。
そもそも、あらゆるものは、差し出すかどうかは「本人の意思」による。
希少性とは「価値の高い価値」に過ぎないのでは。
つまりは相対的。
その意味ではやはり希少性は「不自然」だ。
ただの同語反復になる。
「価値とは希少性」であり「希少性とは価値」である。
つまりは、価値を価値で説明することになる。
故に
「希少性とは希少性」である。(かもしれない。まだ断定はできません。)
つづく