まず、僕は勉強が優先されるべきであると考える。AIやGoogleがなんでもやってくれるから勉強はあまりしない、という考え方に賛同できない。ただし、部分的には肯定する。
以下理由を述べる。
まず、情報リテラシーという言葉があるように、子供は情報を正しく扱えない。
リテラシーとは読み書き能力のことで、まともに読めない子供は、情報が有害になる可能性がある。免許なしに運転するようなものである。確かに、天才であればちょっとだけ操作とルールを覚えられれば運転できるかもしれないことは否定しない。
Google検索で十分だと主張する人間の中には、既に情報リテラシーがある人間もいるということを見逃してはいけない。
時代ごとに常識は変わるものであるが、正しい知識はそこまで流動的ではない。時代の変化と正しい知識の変化はそこまで相関しないと思われる。
数学が典型的な例である。
数学の公式は時代とともに変わるのではなく、追加されるのである。
数学は普遍性を持つ。つまり普遍性のある知識や学問を学ぶ意義は大きい。
しかしながら、Google検索とAIのほうが優れる部分もある。
現在では機械による翻訳の精度はまだまだ低いが、いずれ上げてくると思われる。
その状況の中で通訳を勉強する意味はあるのだろうか?
つまりは、流動性を考えなければならない。
時代とともに廃れる分野もあることは確かである。
つづく