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貢ぎ物としてのプレゼントと、愛情表現としてのプレゼント。男女のすれ違いを考察

僕は、両者は厳密には違うと考える。

 

前者は「愛されたいから」プレゼントをする。

後者は「愛しているから」プレゼントをする。

 

すなわち、

消極的な愛

積極的な愛

と表現することができる。

 

恋愛は主観的な問題であり、閉鎖的であって、個人間の問題とも言える。

そういう性質から、あくまで僕個人としての意見を述べたい。

 

愛情表現という言葉がある。

多様性があって、決めつけることはできないが、僕は男性と女性には表現の仕方が違うと考える。それが男女のすれ違いを生む。

 

プレゼントというミクロな物事をしっかりと考えることで、見えるものがある。

再びそもそも論になるが、女性は買い物が好きである。

百貨店の多くは女性向けのお店で、マルイメンズ館が象徴するように、男性に特化した百貨店も存在する。これが男性の買い物に対する無関心さを証明していると思われる。

 

これを前提としてプレゼントというものを考えるべきである。

推測では、男性は、プレゼントを貰うことが男性への最高の愛情表現である、という認識が薄いのではないだろうか。

毎日料理を作ってくれる、返事が早い、話を聞いてくれる、など、些細なことに気が向いていないだろうか。

 

「プレゼントをあげることが愛情表現ではない」と考える日本人は少なくないのでは。

もちろん、部分的にはそんなことはないことも知っているので、ご了承いただきたい。あくまで傾向としてのお話にとどめたい。

 

それに対して女性はどうだろうか。

バレンタインやクリスマス、誕生日にはプレゼントを贈るという習慣が日本にはある。

これを、男性が「嫌々ながら買う」と思うことですれ違いは始まるのではないだろうか。

愛情表現の解釈の仕方が、男女のすれ違いを生むということを軽視できない。

 

しかしながら、男性には「嫌われたくない」からプレゼントを買うものが一定数存在する。

そして、この心理を利用して男性を「搾取」する女性も存在する。

(Youtubeで貧困に関する動画を見たとき、女性に貢ぎすぎて借金が膨らんでしまったというケースを確認した。)

 

裏を返せば、「嫌われたくない」からプレゼントを贈るという男性には、女性への愛はないと考えられる。

 

愛情表現という心理には複雑に絡み合うプロセスなるものが存在する。

次回はそのプロセスを考察していきたいと思う。