「知らなかった」で許されない犯罪がある。
「知らなかった」で許される犯罪もある。
不思議だなあ。そして思考を深めていく。面白いことに気づく。
今からボールが飛んでくる。
これを「知っている」としても、どこから、どんなスピードで、どんな大きさ、等の情報がないと避けるのは厳しい。
認知はどうか。
今からボールが飛んでくる。「認知している」。いや、おかしい。時系列的に、飛んできてから、認知すれば、「認知している」といえる。認知とは外界を認識することである。
時系列が問題みたいだ。
ある現象Xについて、「知っている」状態は時系列を問わない。しかし「認知している」については現象Xが発生し、認知することでそのように言うことができる。
「知っている」は情報として頭に入っている状態。
「認知している」は知覚されたうえで、情報として頭に入っている状態。
つまり、いつ、どこから、どんなスピードでボールが飛んでくるか「知っている」ならばボールは避けられる。
また、知っていないけれども、「認知している」状態で、避ける余地があればボールは避けられる。
むむむ・・・ややこしいが、なんとなくわかってきた。
つまり、認知というフィルターを通して「知っている」になるのだ。
つまり、認知した後は「知っている」も「認知している」もほぼイコールなのだ。
しかし問題がまた発生する。
もともと「知っている」としても、「認知している」かどうかは、それは必ずしも成り立たない。
今目を開けてグラウンドに立っている。ボールが避けられるかどうか実験だ。
ボールが飛んでくる。それは知っている。でもどんなボールかは知らされていない。
サッカーボールが時速50kmのスピードでお腹をめがけて飛んできた。避けた。
避けるには認知が必要だった。
再度実験を行う。
アイマスクをされ、「今から10秒後に右のマットレスに避けてください」と指示を受ける。10秒後避ける。ボールが飛んでくる。でも避けることができた。
認知しなくとも、避けられるケースがある。
つまり、このケースでは避けられる手段を「知っている」が「認知している」とはいえないけれども避けることができた。
むむむむ。奥が深い。
これを、犯罪に適応して物事の善悪を判断する・・・
法律は凄い・・・
「見える世界」と「見えない世界」の話。
かくして、知の旅はいよいよ本格的に始まったのであった。
■ここまで読んで頂いた方へのおすすめの本
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『文学こそ最高の教養である』駒井稔
『カメラ・オブスクーラ』ナボコフ
『生の短さについて』セネカ
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『知の旅は終わらない』立花隆
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