人は・・・自分で経験していないことについて100%は理解できない。
「~しそう」「~だろう」
あくまで予測にすぎない。
じゃあと、その経験を他人から学ぼうとなる。
経験した側は、他の人にして欲しくない、善意から伝えたいと思う。
そして両者の利害は一致。講義の始まり。
しかし・・・それでいいのか。
自分で経験しないことには、実は本当に理解したことにはならない。
それを『バカの壁』では何度も訴えていた。
それでも戦争は経験できない。まさか、戦争も経験してこいという本だったのか。さすがにそれはない。
しかし・・・戦争を経験していない以上、戦争について100%は理解できない。
じゃあいったい、戦争の本質をどうやって下の世代に伝えていくのか。
まさか・・・VRでリアルに体験しよう!なんて方向に行くのだろか。
・・・どう考えても100%は理解できそうにない。
だって、子供を出産するときの壮絶な体験なんて、男には理解できないでしょう。
それと戦争は・・・やはり同じ次元にいる。
ということはだ。
理解できないことがあるんだ、そう伝えることが大事なのではないか。
それが『バカの壁』で一番言いたかったことなんだ。
養老さん、オレわかったよ!
「話せばわかるなんて、嘘!」ってこういうことでしょ、養老さん!
つまり・・・理解できないことがある。なんで理解できないのか。その原理を説明することに意味があるんだ。
だから、単に経験を伝えるだけではだめだ。
順番を考えよう。
まず理解できない仕組みを教える。そのうえで経験を語る。
この順番であれば、他人に伝えることに意味はある。
しっかり伝わるのだから。
伝わることは確かなのだ。