問い屋さん。人生は草。読書の「力」を発信するブログ

「INPUT・OUTPUT・読書 (哲学・数学・認知科学・文学・心理学・芸術・色彩心理学・神経言語学など) 」を通じて人生の武器になる強力な問いを提供。問屋ではない。そうは問屋が卸さない。人生は草。楽しく行こう。

自分で経験したことを他人に伝えることの意味を問う

人は・・・自分で経験していないことについて100%は理解できない。

「~しそう」「~だろう」

あくまで予測にすぎない。

じゃあと、その経験を他人から学ぼうとなる。

経験した側は、他の人にして欲しくない、善意から伝えたいと思う。

そして両者の利害は一致。講義の始まり。

 

しかし・・・それでいいのか。

自分で経験しないことには、実は本当に理解したことにはならない。

それを『バカの壁』では何度も訴えていた。

 

それでも戦争は経験できない。まさか、戦争も経験してこいという本だったのか。さすがにそれはない。

しかし・・・戦争を経験していない以上、戦争について100%は理解できない。

じゃあいったい、戦争の本質をどうやって下の世代に伝えていくのか。

まさか・・・VRでリアルに体験しよう!なんて方向に行くのだろか。

 

・・・どう考えても100%は理解できそうにない。

だって、子供を出産するときの壮絶な体験なんて、男には理解できないでしょう。

それと戦争は・・・やはり同じ次元にいる。

 

ということはだ。

理解できないことがあるんだ、そう伝えることが大事なのではないか。

それが『バカの壁』で一番言いたかったことなんだ。

養老さん、オレわかったよ!

「話せばわかるなんて、嘘!」ってこういうことでしょ、養老さん!

 

つまり・・・理解できないことがある。なんで理解できないのか。その原理を説明することに意味があるんだ。

だから、単に経験を伝えるだけではだめだ。

順番を考えよう。

まず理解できない仕組みを教える。そのうえで経験を語る。

この順番であれば、他人に伝えることに意味はある。

しっかり伝わるのだから。

伝わることは確かなのだ。