端的にいえば自己中心主義のようなものを感じる。
自分という物語を常に自分の目線で積み立てていく。
そこに致命的な欠陥がある。
前提として、そこには自分の軸がある。自分という不変の存在がある。
しかし歴史学と照らし合わせば分かる。
そもそも歴史は線形的なものなのかということである。
いつの時代も、必ず独自性を持つ。
それは、東日本大震災をすぐに忘れる人間を考えればよく分かる。
伝統は形式的には受け継がれるが、精神というものは常に環境や社会情勢によってコロリと変わる。明治維新が良い例だろう。
これを個人レベルに置き換える。
問うべきは「自分は何をやってきたか」ではなく、
「自分のまわりには何があったか、どんな人間がいたか」である。
養老孟司氏が言っていたことと重なる。自分探しは無意味だ。
環境に対して自分がどう反応したか、どう解釈したか。
それを非連続的なものとして、区切りのあるものとして考えねばならぬ。
さて、新卒の採用担当はこういうことをしっかり理解しているのだろうか。
僕はあまり思わない。
つづく