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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

読書日記1030

読んだ本

檜垣立哉バロックの哲学:反ー理性の星座たち』岩波書店 (2022)

福嶋亮大『書物というウイルス:21世紀思想の前線』blueprint (2022)

柄谷行人柄谷行人発言集 対話篇』読書人 (2020)

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日記

 

まず「ポピュリズム」という言葉について素朴に思うことがあった。

何をもってそう呼ぶのか。

ポピュリズムという言葉はニュースでは滅多に聞かないが、最近の本では時々登場する。

『書物というウイルス』のなかでも出てくる。

 

 

『書物というウイルス』では、スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』に触れ、この本では飢餓率の低下、幸福度の全体的な底上げ、農業の発達による食料生産量の増大など、明るいデータを豊富に示し、人類の進歩を「実証」しようとする反面、部族主義とポピュリズムに啓蒙は危機に晒されているという内容である、ということであった。

 

 

ポピュリズム

こんな曖昧な言葉にどのような機能があるのだろうか。

端的にそう感じる。

深く深く考えれば、ある意味差別用語とも言える。

大衆迎合主義」とも訳されるこの「ポピュリズム」という言葉を用いて論じる時点で既に「私はエリート主義者です」と言っているに等しい。

その是非は一旦おいて、こんな肌感覚レベルの言葉で何を語れるのだろうか。

 

 

先日読んだペトル・シュクラパーネク『健康禍』では、乱用されるものがアルコールだったために「アルコール中毒」という言葉が生まれたが、乱用されるものが「言葉」であった場合はそうならないと書いていた。あれは皮肉に間違いない。

大局的に見ればヘイト本は言葉の乱用であって、「言葉中毒」ということになるが、しかしこれは的を射ない言葉だ。

「悪口依存症」と言うほうがまだ正しいが、これを遡って「ポピュリズム」と関係づけた時に思うのは、言葉を定義するだけで「悪口」になってしまうのだろうか、という疑問である。

 

 

突っ込みどころを掘り下げていくと文書はだらだらと長くなってしまうので一旦割愛。

 

・・・

 

バロックの哲学』ではベンヤミンの「星座」の意味を思い出した。

"理念と事物の関係は、星座と星の関係に等しい" P24 (『バロックの哲学』)

 

星がなければ「星座」という概念は生まれないが、星座という概念は星にとって無関係だということであった。

 

 

ベンヤミンは「断片」という言葉で「個」の力を描き出す。

ゲシュタルト理論では「個」の総和は全体にならないが、これは星座と星の関係に似ている。

明らかに星は星座をつくるために発生したものではない。

 

 

意図していないことが、結果的に何か別の概念を生成される。

哲学的に難しく、考えるのも疲れるが日常的にこのような事例は多く存在するように思われた。

そして非力な「個」の力の強さを予感させる。

 

 

小坂井敏晶氏は『矛盾と創造』のなかで、少数派が一貫し続ければ多数派に影響力を与えることを語っていたが(アッシュ実験)、これも深いところでベンヤミンアレゴリーと繋がっているようにみえた。

 

 

深く、底がみえなく、そして刺激的でもある。

 

(柄谷氏の本の感想については後日書きたい)

 

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関連図書

 

 

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