Nさん有り難うございます。
続きです。
前の記事では、「希少性を価値で説明する」ことによって、
価値が価値を語る、つまり「同語反復」になることを書きました。
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再度整理します。
希少性とは何か。
「価値があること」
これは前の記事で僕の答えを書きました。
「莫大なお金をかけても欲しいもの」
これは、所有する側の「差し出さない意思を崩すもの」
になることを前の前の記事で書きました。
ところが、意思を崩すには「お金」が必要であり、
お金の額で希少性が決まるのであれば、希少性とは「価値あるなかでも、かなり価値のあるもの」となり、「価値が価値を語る」ことになる、と僕は前の記事で書きました。
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「希少性とは利用できる量が少ないこと。」
この場合、
例えば、
「僕の地元の野球場を利用できる人間は限られる。だから希少性がある。」
と主張することができます。
地元の野球場は「唯一無二」であると考えられるからです。
しかしながら、
「野球場」というカテゴリーに括られた場合、
「数ある中の、ひとつの野球場」になります。
つまり、
「野球場ならいくらでもある」
という反論が返ってきて、「希少性」が無くなることを意味しないでしょうか。
利用できる「量」というよりかは、「質」のような気もしてきました。
Nさん、貴重なコメント有り難うございました。
また考えます。
つづく