人生は草!

読書と哲学。大学院入試日記

希少性・量・質

Nさん有り難うございます。

続きです。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

前の記事では、「希少性を価値で説明する」ことによって、

価値が価値を語る、つまり「同語反復」になることを書きました。

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再度整理します。

希少性とは何か。

 

「価値があること」

これは前の記事で僕の答えを書きました。

「莫大なお金をかけても欲しいもの」

これは、所有する側の「差し出さない意思を崩すもの」

になることを前の前の記事で書きました。

 

ところが、意思を崩すには「お金」が必要であり、

お金の額で希少性が決まるのであれば、希少性とは「価値あるなかでも、かなり価値のあるもの」となり、「価値が価値を語る」ことになる、と僕は前の記事で書きました。

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「希少性とは利用できる量が少ないこと。」

この場合、

例えば、

「僕の地元の野球場を利用できる人間は限られる。だから希少性がある。」

と主張することができます。

地元の野球場は「唯一無二」であると考えられるからです。

 

 

しかしながら、

「野球場」というカテゴリーに括られた場合、

「数ある中の、ひとつの野球場」になります。

 

 

つまり、

「野球場ならいくらでもある」

という反論が返ってきて、「希少性」が無くなることを意味しないでしょうか。

 

 

利用できる「量」というよりかは、「質」のような気もしてきました。

Nさん、貴重なコメント有り難うございました。

また考えます。

つづく