人生は草!

読書と哲学。大学院入試日記

トリアージ・コロナ・医療崩壊を哲学的に考察する。

日本医師会トリアージを行う事を視野に入れると発表した。

患者に優先順位をつけることは何を意味するのだろう。

県のトリアージの定義によれば、「傷病者の緊急度に応じて治療・搬送の優先順位を決める」とのこと。神奈川県のホームページより。

 

つまり、緊急度を点数化し、高い者から治すということであると言える。

では緊急度は何によって判断されるのか。

専門的なことはわからないが、重症度の高い患者から治療を行う事によって、医療資源を合理的かつ効率的に活用できるとのこと。

 

最終目的は、やはり死者数を限界まで減らすことを意味すると言える。

日本の医療の態度としては、救えるものは救う態度と言える。

 

医療においては、生命は皆平等である。その精神が表れていると言える。

 

哲学には公共哲学という学問がある。あらゆる格差について考える学問である。

経済格差。恋愛格差。機会格差。幸福の格差。などなど

 

哲学の学問として考えると、「生命」の格差もその一部にはめ込まれる。

 

経済格差がひどければ、栄養失調になり、まともに教育を受けず、過度な労働で倒れ、医療の手が届いた時には、もう遅い。そんなことが現実ではあるだろう。

幸福の格差がひどければ、自殺が増えるだろう。そこに医療がうまく介入できるかといいうと、少なくとも日本ではうまく介入できていないように思われる。

医療の格差が大きければ(相対的に技術力がない国など)、当然、経済格差がなくとも、あっという間に死んでしまうことがあるだろう。

 

このように、視野を広げて考えると、平等達成というものがいかに困難なものかが分かる。例えば、生活保護を受けている方がコロナで重傷になった。急いで手当をしなければならない。その一方、過労で倒れそうな方がいる。その方は自殺を考えていて、明日にも死にそうな勢いだ。でも医療の介入はない。そして生活保護の方は一命を取りとめ、過労の方は死んでしまった。

 

平等というものは本当に難しい。

生命は平等と言いながらも、実はそうなっていない現実がある。

それが僕の解決したい問題のひとつてある。

精神疾患とは目に見えないので、放置されてしまうのである。

 

コロナで自殺が増え、現在では自殺者のほうが多い傾向にあると思われる。

経済と医療。どちらを優先するか。

生命の平等とは必ずしも、医療を優先することで達成されるものではないことは間違いない。