数字は凄い。
どこの国に行っても、言語は違うかもしれないが、数字だけは通じる。
言語だけは通じて、数字が通じない世界などあるのだろうか。
おそらく、ない。
数字には普遍性を感じる。
それだけに、言語との差異を考える意義がありそうだ。
ところで、言語は生きるために必要だろうか。
原始人に言語は必要だろうか。
否。
言語がなくても生きている動物はいっぱいいる。
言語は生きるための条件ではない。
数字はどうか。
おそらく、虫は数字を知らない。
それでも生きている。
ただ、ハチのように、数字を知らないと思われる生き物でも、6角形を表現したり、数字と繋がりがある。
数字は知らないけれども、合理的な生き方をした結果、たまたまそうなっていたのだろうか。
自然界そのものに、数学的なシステムが無目的に切り刻まれているのだろう。
そして人間がそれを発見した。
おそらく、言語と数字は別物だ。
水と油くらい違うかもしれない。
何故なら、言語は曖昧で見えにくい。まさに透明な水のようだ。
数字はハッキリとしている。嘘をつかない。
つまり、論理学と数学はやはり切り離されるべきではないだろうか。
20世紀では、数学を論理学の中に入れ、統合させようと哲学者の試みがなされたが、失敗したみたいだ。
論理学は命題の塊なので、数字ではない。あくまで言語。つまり水。
人間は油を水に無理やり溶かしても溶けなかった。
そして問題も解けなかった。