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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

「差異」を細分する。今年一発目の哲学的考察。

ーと、まあ、興味のある方だけに読んでいただけたらと思います。草

正直、かなり堅いお話です。ユーモアを少し入れながら読みやすく工夫はしたいところです。

 

本題です。

僕は何を問いたいのか。まずそれを提示したいと思います。

恋愛で例えると、山田エリーゼという方がいたとします。

そして僕の彼女はその山田エリーゼという方だとします。

 

声が山田エリーゼと完璧に一致している人がいました。

でも、声以外は全く似ていません。

じゃあ、別人ですよね。

 

次に、声、顔、身長など完璧に一致している人がいました。

ただ、名前は岩波文子という方でした。

じゃあ、別人ですよね。

 

次に、外見、名前、性格、住所、ほぼ全て一致している人がいました。

ただ、本人の指紋とは一致しませんでした。

じゃあ、別人ですよね。

 

さて、別人と決定するものは何か。という話になるんですよね。

差異を細分するというのは、何によって差異が決まるのかというお話です。

 

突き詰めると、これはかなりの難問です。

まず、山田さんだけの問題ではないということです。

「思い込み」の問題かもしれません。

この記事で僕は、自分が思っていることと事実は必ずしも一致しないということを書きました。

 

では、客観的に「この方は山田エリーゼです」と言える根拠は何になるのか。

 

DNA?

否。

仮に、DNAを複製して山田エリーゼさん本人と完璧に一致する方を用意したとして、はたしてその方は山田エリーゼさんなのでしょうか?

否。

では記憶を完璧にコピーすればいいのか?

否。

じゃあ、本物の山田エリーゼさんはどうなってしまうのか。クレヨンしんちゃんの、ロボ父ちゃんを思い出します。

 

つまり、山田エリーゼさんは、唯一無二の存在であることがわかります。

でも、何か引っかかるところがあります。

本当に唯一無二となりうるのか?その根拠は?

 

僕は唯一無二と信じたいところです。

本人を決定するものは実は「差異」ではないのでは。

 

文字の意味は別の文字との差異によって決まるとソシュールさんは言いました。

ただ、人間は別の人間との差異で決まるのでしょうか。

 

うーむ。

「差異」「絶対」「存在」のお話は奥が深いですね。

もう少し考えてみる事にします。