「最もいい仕事をした生き方が最もいい人生だ」
サンマーク出版社長の人生観です。
本を作る人のトップは何を考えているのだろう、そう思い買いました。
「仕事こそ人生」といった価値観は今の成功者や経営者には常識というか、皆そう思っているように感じます。そうでないと成功はできなかったと、素人の僕は考えます。
この言葉に仕事の本質があるように思います。
しかし僕は恥ずかしながらそうは感じない。
仕事に対する嫌悪感はおそらく一生なくならないと思います。
20代前半の自分を思い出します。
当時はブックオフに行き成功本を大量に買って、風呂でも読みカビが生えるほど読みふけっていました。そしてビジネス本信者たちのコミュニティにもぐりこみ、毎月成功について語り合っていました。
ところが、身体は悲鳴をあげていました。仕事は辛いけど、絶対に手は抜かないと決め、退勤した後は常に本を読んでいないとライバルに負けると思い込んでいました。
そして電車でパニックを起こし精神科へ。
「君は頑張り方を間違えた」
ビジネス本信者に言われた、いまだに忘れられない一言です。
しかしいまだに正しい頑張り方は見えません。でも今日僕の中で人生の生き方について仮説が立ちました。
「最もストレスの総量が少ない生き方こそ、最もいい人生だ」と。
最も楽な生き方が最もいい人生だ、という意味ではないです。
楽をしすぎると後々ダメージを食らうので、総量は高くつきます。
著者に照らし合わせても、最もいい仕事した人のストレスの総量は、最も少ないと言えます。
ニートの方々も、工夫して仕事をしない生き方をしているので、最もストレスの少ない生き方を選んでいると言えます。
この仮説、もしかしたらかなり有力なのでは、と踏んでます。
僕は動物からヒントを得ました。
「人間は退屈を感じるとき、ストレスを感じる。ただ、動物は退屈など感じるのだろうか。そもそも、動物には退屈という概念はないのではないか。じゃあ、いったいなんで退屈という概念があるのだろう。」
そこで僕はこう考えました。
大昔の人間が一生に経験した退屈時間の総量は、現代と比べて僅かではないか、と。
そもそも、大昔の人間は生きるのが精いっぱいだった。今はある意味「生かされている」とも言える。
つまり退屈とは社会が生み出したものではないだろうか。
人間、本当はやりたいことがいくらでもある。ただ、社会がそれを許さない。そこで抑圧される。そして欲求不満となり、退屈となり、ストレスとなる。
これは僕の経験上そう思えるからです。
人間、身体が不調を感じるときは、やりたくないことをやっている可能性が高い。
我慢することが多い。本当はやりたいのにやれない。そしてストレスになり身体を壊す。
「頑張り方を間違えた」
とは、「ストレスの総量が大きくなる生き方を選択してしまった」と考えられます。
「身体は正直」
これは、相当なものです。ただ、無理をしても平気な人がいることもまた事実です。なんと羨ましいことか。ただ、それも含めて「才能」なのだと思います。
今日は久々に感想が長くなりました。
思考がうまく働いたので、記録として残すことにしました。
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