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読書日記1169

読んだ本

マーサ・C.ヌスバウム『経済成長がすべてか?:デモクラシーが人文学を必要とする理由』岩波書店 (2013)

筒井康隆虚人たち』中公文庫 (1984)

カント『判断力批判 (上) 』岩波文庫 (1964)


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日記

 

虚人たち』をひたすら読んだ一日であった。

癖が強すぎて嫌いな人はすぐに手放すだろうと感じた。

若干の苛立ちを覚えながらも、最後まで読みたいという謎の衝動に駆られて読み続けた。

さすがに80ページほど読んだときには疲れてしまい、電車で眠ってしまう。

 

・・・

 

判断力批判 (上) 』は160ページ弱まで読み進んだ。

ひとまずメモしたことを再度アウトプットしたいと思う。

"善なるものは概念によってのみ、普遍的な適意の客体として表象されるものである。このようなことは快適さにも美しいものにも起こりえないことである。" P133

 

"概念を使わずにわたしの快と不快の感情に基づいて、その対象について直接に判断しなければならないからである。そのためいかなる趣味判断も、客観的で、共通的で妥当な判断の量を含むことはできない。" P138

 

 

もしもある表象が与えられて、それが趣味判断を引き起こした場合に、その表象が概念であり、対象を判断する際に知性と構想力を客体の認識に合一させるものであるとするならば(・・・)そうした判断は快と不快の感情との関係において下されているのではなくなるだろうし、趣味判断ではなくなるだろう。” P149

 

"趣味判断というものは、さまざまな概念には依存せずに、適意と、美しさという述語とにあって客体を規定する。" P149

 

自分は「美」というものの価値を少々買い被っていたのかもしれないと思うようになりつつある。

今日は「 趣味 ≒ 美 」という解釈をした。

しかし言葉の使い分けという観点からは趣味と美は異なることに異論はない。

「美意識」という言葉があるように、何らかの整合性が「美」には要請されている節がある。

もしくは「美」が整合性を要求しているのかもしれない。

 

 

趣味は「仕事」と対立する。

遊びでやっているうちは趣味とみなされ、そうでないものは仕事となる。

趣味判断とカントは言うが、美判断とは言わない。

言葉の使い分けに注意しながら今後も読んでいかなければならないだろう。

 

・・・

 

ヌスバウムの本を読んでいるうちにアガンベンが言う「剥き出しの生」の意味が少し理解できたように思う。

文化活動が不要不急の対象となったのを思い出した。

このことが人文学と芸術が社会から軽視されている証明なのかもしれない、と自分はある程度感じた。

「命か、経済か」とまで言われていた。

この二項対立も今冷静に考えてみれば奇妙である。

冷静に、深く、深く考えてみれば分かる。

命と経済活動の二項対立である。それしかないのか?という、乾燥した、無機的な社会像が浮かび上がる。それは三島由紀夫が自害する前に『文化防衛論』に残した言葉と重なるだろう。

 

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