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読書日記945

読んだ本

中井亜佐子『<わたしたち>の到来 英語圏モダニズムにおける歴史叙述とマニフェスト月曜社 (2020)

引用元:版元ドットコム

高橋和巳『我が心は石にあらず』河出文庫 (2017)

高橋たか子高橋和巳という人』河出書房新社 (1997)

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日記

 

『我が心は石にあらず』を100項まで読み進めた。

この小説もまた、政治性の強い小説であり「自由」や「平等」というキーワードが軸になっているように感じる。

そんな高橋和巳の人物像について『高橋和巳という人』というエッセイで多少把握することができたように思う。

 

 

1950年半ば、文学部を卒業した人間はまともな職に就けなかったことが語られていた。

100人に1人が定職に就けるという状況であった。高橋和巳はなんとか夜間学校の国語教師をしながら小説を描いていたことが描かれていた。その後は大学院へ行き、立教大学で講師の職を得る。『悲の器』で文藝賞を取ったあとは金銭的に豊かになったと描かれていた。

 

 

そんな高橋和巳は「苦悩教」の祖と言われているようであるが、確かにその源泉として生活環境とは切って離せない部分があるにせよ、本質的なものまではわかりかねた。

エッセイを読むと、文学に対する情熱は感じたものの、どこか世界に対して諦めのような、悲壮感が漂ってくる。

 

・・・

 

アランの哲学講義は分厚く読むのが大変だが内容は面白い。

抽象的な内容であるが、読者に語りかける形で展開され、頭に入り込んでくる。

ひとまず二ヶ所、メモを取った。

 

アラン「誤った精神とは(・・・)勇気のない精神である」

アラン「不正とは精神のうぬぼれである」

 

・・・

 

中井氏の本からは知的な刺激がもらえた。

小説家、ジョゼフ・コンラッド(1857-1924)とヴァ―ジニア・ウルフ(1882-1941)の作品を分析し、小説はフィクションでありながらも真実でもあるという側面を素描する。

今日の収穫としては、思想家エドワード・サイードの仕事が文学作品の分析で成り立っていたことを知る。

 

 

虚構といえばひとまず小坂井敏晶氏の仕事を想起させる。

小坂井氏の本は(『責任という虚構』など)ざっくりといえば、虚構は必要性があるから「必然的に」作られるという内容であった。

 

 

字義的には虚構は「うそ」であることは間違いない。

しかしながら、文脈としてとらえれば「うそ」であることは、ある種の「主張」ともなり得ることは『ポール・ド・マンー言語の不可能性、倫理の可能性』を読むことで納得することができる。

時には沈黙でさえ「イエス」を暗黙に意味する。

 

 

個人的な感想としては、「形式」と「虚構」に親和性を見出すことができた一日であった。

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関連図書

 

 

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