読んだ本
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メモ
なし
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日記
本書はソクラテスによる快楽主義批判の書である。
フランス文学者の澁澤龍彦は『快楽主義の哲学』のなかで審美主義的な価値観を啓発していた。
当時読んでいた自分は全面的に同意できない違和感があった。
今も変わらない。
一方、小林秀雄は『感想』において、人は考えすぎることで頭がおかしくなってしまうことについてベルグソンの哲学に触れながら語っていた。
人は考えずに何かに没入していることが自然的であって、そういう力学はあるのだと私は解釈した。
考えすぎること、死について深く考えることは敬遠されがちである。
しかし、理性ある人間が何故そのような自体になるのか。
中庸。
考えすぎることは極端ではある。ただ、なぜそれが苦痛になるのだろうか。
・・・
本書はプラトンの書物のなかでは難しい類いに分類されると感じた。
難解である。
快楽の強弱に関すること。思慮にも種類があること。
分割について、混合について。
幾何学的な議論が進む。なかなかついていくのが難しい。
思わず解説を先にみてしまった。
痒いときにかきむしって得られる快楽は虚構である。
プラスでありがなら実はマイナスである快楽の存在。
快楽の種類とその多面性についての考察は骨がおれそうであった。
じっくり読み進めたい。
つづく