読んだ本
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メモ:
人新世⇒人類が自然の生態系に影響を与えるようになった時代のことをさす
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日記
『不可能性の時代』が読みづらかったのでこちらを先に読むことにした。ひとまず90ページほど読み進めた。
パンデミックでは人と人との接触を避け「みんなから避けよ」という規範が機能した。
大澤氏の問題意識は、本来危機の場面では人と人とが繋がっていかなければならないのに「みんなから避けよ」と、バラバラになっていく社会にあった。
まず大澤氏はこの逆説とどう向き合うべきかと考えた。
パンデミックにおける人間の心理は、巨視的に見れば、ゾーエー(=剥き出しの生)であるというのが大澤氏の見方であった。
つまり「何よりも命を優先せよ」という、本能剥き出しの心理が働くという、生物としての人間が全面に出る。そしてこれが民主的な意見へとまとめられていき「ロックダウン」が起こった。
三島由紀夫のように自らの信念を貫徹し、命よりも大切なものがあると考える人間はあまりにも少数派である。
国家を一人の人間に例えるならば、非常事態に連携することは難しく、これからも訪れるであろう世界的な危機に対する大澤氏の懸念が読み取れた。
パンデミックの例だけをみれば、究極的には世界が統一されるほうがベストである。
その後本書は資本主義と共同体という、非常に抽象的で難しい話に移る。ここで一旦ストップした。
そこで考えさせられたのは、資本主義が「欲望」の側面をもつ反面、ウェーバー的には「禁欲」の精神からも成り立っている点である。
自己啓発のような本にもおそらく書いてあるが、基本的にはプロテスタントのように禁欲の精神が豊かになる鍵であることは歴史的にも正しいはずである。
しかしながら禁欲だけでは説明がつかないのもまた資本主義の難しい性質である。
大澤氏はパンデミックによって経済成長が止まったにもかかわらず株価だけは上がった事実を「倒錯」と表現した。
これを宗教社会学的に分析するのが以降の内容となっている。軽く読んでみたがかなり難しいものであった。
・・・
『アディクションと金融資本主義の精神』も難しい話に入ってきている。
世の中にはいろいろな遊びやスポーツ、ゲームがあるが、なぜギャンブル(+ゲーム)だけが依存症なのかを突き詰めていく内容となっている。
今日の段階では書けることは何もない。
欲望の源泉はなんなのか、という問いかけである。
このような人間的な問いかけは、むしろ文学が得意分野なのではないか。
本書の後半は様々な文学作品と繋いで論考が進むものとなっている。
その後半の楽しみのために地道に読み進めている段階である。
つづく
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ヘーゲルについて