哲学対話を読んで、僕は何事も、真理を知った気になるその短絡性に気を付けなければならないと強く思った。
文章化して世の中に公開する以上、なんらかの説得性を担保しなければ受け手側に伝わりにくいことは仕方がない。
しかし、それがエスカレートしていくことによって謙虚さを失う。謙虚さを失うと物事を正しく見ることができなくなる。そして足元をすくわれる。
それを自覚するために『ソクラテスの弁明/クリトン』を購入。
改めて、ソクラテスの知に対する姿勢の大切さを学ぶ。
人類が知ることのできる総体は、宇宙全体からすれば取るに足らない。
それが個人規模となればもはや塵にもならない。
僕は最近本の要約を試験的に始めてみた。
読み終わればあとは楽に書けると思っていると痛い目に遭うことを痛感した。
ほとんど吸収できていない。
知識をつけるための読書であれば、ここは十分に気をつけるべきであると思った。
しかしそれでは読書がつづかないので完璧主義にも気をつける。
バランスを取る難しさ。
おそらく中庸とはこのバランスや整合性の取れた、自立した人格のことを指すのかもしれない。
つづく