僕は、「構造主義」の発想と、ポスト構造主義の代表格ジャック・デリダの「脱構築」、そして本日読了した『心理療法統合ハンドブック』誠信書房、からヒントを得た。
プラトンの唱えた「善のイデア」は、解がひとつという発想である。
それは、形而上学は一元論ではないか、という疑問を生む。
それに対し、デリダは20世紀の主流であった「構造主義」では説明がつかないことに異を唱え「脱構築」を考案した。
「価値観は人それぞれ」ということを、僕は2年ほど前に「その表現は思考停止の象徴」であるとのべた。
価値観といった曖昧な表現を分解することで、見えてくるものがある。
多様性と多元論は同じようなものである。解は無数にある。だから多様性なのである。
そもそも価値観自体、「何に価値を置くか」という意味であると思われる。
僕には、「価値観」という言葉自体が「多元論的」なように思われる。
それは、「新自由主義」の蔓延る世界の副作用なのか、否か。
平成に生まれた僕にはまだまだ理解できないことが山ほどある。
つづく。