だいぶ前に方程式を用いて「期待は裏切りの2倍」という結果を示した。
裏切りがマイナス100であるならば、期待はマイナス200であった。
「期待しないほうがいい」
これは人生のあらゆる場面で言えるのではないだろうか。
告白するのに躊躇する男性がいる。それは、「ひょっとしたらいけるかも」という、期待という名の負債を背負ってしまうがために、「振られたら無理」とネガティブになることで証明されているのではないだろうか。
期待がプラスであれば、どうして告白を躊躇するのだろうか。
振られるとは期待が外れるということ。
もう一度振られたケースについて考えてみる。
期待をプラス100としよう。気分が高揚する。告白した。フラれた。気分マイナス200。結果、気分はマイナス100で、絶望感にある。まさか、フラれて嬉しいなんてことはないだろう。気分はマイナスだ。
気分マイナス200とはなんだろう。
期待が外れる。期待が外れる。期待がなくなるということか。であれば気分は0になる。でも絶望しているのだからおかしい。
「フラれたことによって期待が裏切られた」といえないだろうか。
裏切るとは、予期に反するという意味だ。
つまり、
(期待)×(ー)=マイナス期待
ではないだろうか。
期待はプラスじゃないか!
以前の記事では、
期待させないで裏切ると効果抜群であった。
うーーーーーーーむ。わからない。
この問題はまた後日答えを出そう
草
ああ、本題からそれてしまった。
感想です。
子に期待をかけるとあまりよくないと思いませんか。
応援するのと期待するのとではちょっと違いませんか。
この本は、親に期待されて、エリートコースまっしぐらの途中で落ちてしまう話です。
秋葉原殺傷事件の件も然り。
「子を有名私立中学に入れる方法」
みたいな本が子育てのコーナーにありました。
あまり好きません。(学歴コンプレックス丸出し)
結局は、あとで美味しい思いをしたいがために、子供を投資の対象にしていますよね。
それは歴史の観点からすれば、不自然ではないのですが。
でもどうなのでしょうか。
今は親と子供が友達のようになっている家族が多いですよね。
くら寿司に行くとよくわかります。
昔は地震・雷・火事・親父といわれたみたいですが。
「親父」が恐怖の対象であるならば、ニートは生まれないと思うのです。
ニートが成熟国家の象徴であるならば・・・
親の力は国家の成熟によって弱体化するのでしょうか?
親と子はどういう関係が望ましいのだろうか。
まだ僕にはわからない。
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