前回はこちら
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前回は映画『もののけ姫』の製作秘話を明かす、宮崎駿『折り返し点』を読んだところからスタートし、小林秀雄、池田晶子、モリス・バーマン、林達夫へと流れていく過程を書いた。
今回はそのつづきから、最新の読書日記807までのふりかえりを行う。
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文学や書物には何ができるのかという問いを絶えず行いながら本書を読み終えた。
正直なところ、世の中には答えのない問いばかりであり、結局本書から吸収できたものは微々たるものであったように思う。
勿論、それでも読まないよりも幾分かは先へ進めたと感じている。
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林達夫が活躍した時代は関東大震災、共産主義者の台頭、ナチズム、植民地主義と壮絶な時代であった。
そのなかで発禁をくらいながらも岩波書店で活躍し、林達夫は様々な人物と交流した。
彼の仕事を追いきることはできなかったが、宗教哲学に意義を見出した点はモリス・バーマンと同じであり、近代文明の欠陥を察知していたのではないかと思わせられた。
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モリス・バーマンと林達夫に影響され、私はグレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』を、県内最大級の図書館ま足を運び借りることとなった。
ついでに『イメージの人類学』も借りた。
残念ながら二週間ではとてもベイトソンの難解な理論についていけなかった。
そして先にイメージ人類学のほうを読み込むことにした。
こちらの本からはアニミズム、ディナミスムが形を変えてなお現代文明にも生き残っていることが示唆された。
アニメーションとアニミズムは、宮崎駿の本によれば語源は同じである。
文学の力というよりも、アニミズムや信仰心の力というものを再度認識させられたように思う。
ベイトソンの本はまた途中のページから挑戦したい。
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ちょうどその頃、『超葉隠論』の読書経験から、宗教と文明について詳しい執行草舟氏の本を読んでいた。
本書から現代文明について、現代のヒューマニズムについて大局観を得ることができた。
そして執行草舟氏が勧めている本をむさぼり読んだ。
高橋和巳の問題意識は時代を超える普遍性があるように感じた。
自由と幸福について理解を深めなければ書物についてああだこうだ言えないと感じた。
そして私はこの二つについて考えるようになった。
文学には何ができるか、書物には何ができるかという問いかけは弱いように思われた。
佐藤優氏、小坂井敏晶氏、高橋和巳氏の本を読み、問いの質を磨かなければならないと判断した。
モチベーションを維持できているのは池田晶子、岡本太郎のおかげである。
目標などという世俗的な価値体系を私は心底軽蔑する。
問う。
自由よりも上の価値を持つものは存在するか、と。