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熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』読了

ちらを読み終える。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

20世紀は「社会主義」というオルタナティブがあった。

しかし、ソ連の崩壊とともにポスト (後) モダン (近代) の時代が突入。

世界は資本主義の原理で加速した結果、何が起きたのかというと、それは前回や前々回に書いた通りである。

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個人的に、今回はやや長めにこの本の内容をまとめたい。

 

 

この本が言わんとしていること、それは、「多様性の時代と言っておきながら、人々の行動原理には多様性がない」ということである。

 

 

喫煙者が嫌悪され、ホームレスが大幅に減少。

至るところに看板が設置され、公園ではボール遊びが建前上禁止されている。

確かに「秩序」は生まれた。

「ナッジ」に導かれるが如く、昭和と比べ、人々は都市にうまく適応し、道徳的に、そして健康的になったようにみえる。

 

 

ところが、現代では以前よりも増して「まわりに迷惑をかけない」という意識が内面化されていると著者は言う。

また、迷惑の「基準」も時代とともに変わっているとも述べる。

歩きタバコは、昔は「迷惑ではない」行為であったが、今は「迷惑」となっている。

 

 

ネット上のコミュニケーションはプログラミングされた「コード」のうえに乗っている。AmazonのサジェスチョンやTwitterに表示されるものは往々にしてアルゴリズムが導いている。ゆえに、現代のネットはもはや資本主義化されている。そして、うまく設計された都市で「ナッジ」に誘導されるがまま人々が行動しているようにみえることが「コード」の上に乗っかっている人々の行動と重なる。

 

 

あらゆるものが資本主義化されてきている。

(スペックで選ぶ婚活や、選ばれる転職市場⇒人間の商品化)

 

 

私は個人的にこのブログでそのことについていろいろと1,2年前から書いてきている。

こういうことを感じる人が少なからずいることは間違いない。

ただ、おそらくは少数派である。

 

 

時代の流れに「乗る」か「乗らない」かは人それぞれだろう。

私は乗らない。

否。

乗ることが「できない」のほうが正しいかもしれない。

不適合者なりに生きたい。

 

つづく