今日までプラトンの著書を読んできて理解しつつあることがひとつある。
無知の知は何のためにあるのか。
「人は悪いと思って悪いことはしない」
これについて深堀りする。
「悪いこと」という言葉には「犯罪」という意味合いがあるが、そうではなく、ソクラテスの対話においては「自分に害のあるもの」という意味合いのほうに近い。
人は自ら自分に「悪いこと」はしない。
リストカットは、それでも自分にとって「善いこと」だと「思っている」からするのである。
『誰がために医師はいる』を読めばそうだと分かる。
自分が「善いこと」と思っていることと、イデア論における「善いこと」は違う。
自分で善いことと思っていることは「悪いこと」である可能性を排除できない。
無知の知は、イデア論における「善いこと」を探求するプロセスである。
「善くいきる」
とは、おそらく人生をかけてイデア論における「善いこと」を実践する営みだ。
つづく
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