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相対的な自分探し

養老孟司氏は、

「自分探しはムダ」といった。

それは、細胞レベルで日々人は変わっていくので、不変性のない自己に「個性」はないから、という理由であった。

ここまでは養老氏の考え方。

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以下は僕の考え方。

 

 

就活における「自己分析」は、「相対的な」自己分析である。

理由は以下の通り。

 

・他人と比べて何が得意だったか

・他人と比べて何を多くしてきたか

・他人と違うところは何か

 

要するに、差別化としての「売り」である。

 

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ほぼ100パーセント、「自分探し」は「相対的」である。

 

 

つまりは、自分を他者と「区別」するということ。

さかなクンが「個性的」と言われてしまう悲しい現実がある。

 

 

それは、彼が「誰よりもさかなに詳しい」という点においてのみである。

 

 

「個性的」とはどこまでも「相対的」な話である。

例:個性的な髪型⇒相対的にそのような髪型をする人間が少ないから。

 

「派手」についてはこちら⬇️

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

初めてこのブログに遭遇した方は、こちら等をご覧いただきたい。

 

 

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そもそも、「自己」は「他者」と切り離せない。

言語は「他者」がいることで初めて成り立つし、「社会」によって道徳付けられ、「教育」を通して世の中の価値観などを吸収していく。

 

 

 

個性とは「相対的に」、何に「重き」を置いているか、それだけの話にすぎない。

何かに重きを置いていることを自覚せずに「自分探し」は無意味である。

その点は養老氏も僕も、最後には一致した。

つづく