役に立たない、じゃあいらない。
ビジネスで即使えるような本はごく一部だ。
ということは、書物のほとんどは役に立たないという烙印を押される。
あらゆる分野で役に立つものだけを仕入れていく。
合理的でスマート。いいじゃないか。いや、危険じゃないか。
そんな人が出世してトップに立ったらどうなる。優生思想の復活だ。
いらない人間はいらないよ。が当たり前になる。
売れない本、使えない本はいらねえ、になる。
まだまだ昭和世代が経済を牛耳る世の中だ。戦争を経験した人間から教わった思想が叩きこまれている。危なくないだろうか。そしてコロナ。不況。
若者は二分化される。役に立つ人。立たない人。
この会社では厳しい。そう感じる人は少なくない。特に中小企業は容赦しない。余裕がないのだ。戦争の頃の思想はまだ消えない。
いっそ弱者であることを認めてしまったほうが後々ダメージが減るかもしれない。
中途半端に威勢を張っては気力を絞られて絞られて、絞られ尽くしたあとはポイ捨てである。
私は危険な思想がエリートの間に蔓延っていると踏んでいる。
「強く生きろ」なんて単純じゃあない。
頼れる人がいない人は国の制度を使う。とにかく制度。福祉。
役に立たないとレッテルを貼られた人の救済措置だ。
これがなくなったら日本は超格差社会の誕生だ。
所得月10万程度の人から容赦なく税金をむしり取る。最悪だ。
しかし幸運なことに、まだそこまでひどくはなっていない。
むしろ良くなった傾向だある。国は精神障害者の雇用を「お願い」から「義務」へと変更した。素晴らしき意志表示。
今は相当国が力を入れている。これはチャンスだ。
私は20代前半まで感情で生き、社会人になってからは損得勘定で生きるようになってしまった。そして失敗。
感情と損得勘定はもろはの剣である。
自己の信念を築く時が来たのかもしれない。次々に迫りくる解いてる時間のない問題に対して、感情で攻めない。損得勘定でも攻めない。直感力もないので、あとは自分の信念で攻めるしかない。その為の哲学である。
そして問う。
何をするべきか。
自分のために何をするべきか。
家族のために何をするべきか。
道徳・信念上何をするべきか。
感情では何をするべきと思っているか。
目の前の一個の選択だけでも、実は答え方は何通りもある。
そして選ぶ時が来た。
これら、損得勘定で決めるのではなく、責任を持って、覚悟を持って1つだけ選ぶのだ。
これからどう生きるのか。感情と勘定にまかせることの危険性を再認識したい。