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この二者が掛け合わされることによって何が見えてくるのだろうか。
池田晶子は「真理は表現されるべきものである」と述べていたのに対し、執行草舟氏は真理の相対性を力説する。
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258日前の私は強く池田晶子に魅了されていた時期であった。
プラトンの思想とソクラテスの思想には違いがあるのかもしれないが、両者ともに真理を追求することに人生を捧げたことは同じなのではないだろうか。
「善く生きる」ことの定義は難しいが、消去法でならひとつずつ「悪く生きる」例を挙げることはできる。
そのひとつが「不正」を行うこと。
もうひとつが「知を愛さない」こと。
このあたりは執行草舟氏と重なる。
もちろん、執行草舟氏の相対主義的な見方は相容れないが、プラトンらの「理性的に生きる」ことと執行草舟氏の「脱動物」の思想は似ている。
言葉で表現することは難しいが、時代の流れに左右されずに「己の筋を通す」ということである。
特にソクラテスの晩年はまさにそれを象徴しているように思う。
そしてそれは武士道の精神の要である『葉隠』にも通ずる。
池田晶子もまた、「善く生きる」ことを最後まで考え続け、その通りに生きたように思う。