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承認の必要性・貧困の脱定義

ちらのつづきを読み進める。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

 

ひとつ思い出した。

性風俗業は国民の理解が得られないと思われるため給付の対象にはならない、という事例があった。

おそらく、現在も一部の会社と国の裁判はつづいている。

 

 

本書では東電OL殺人事件について触れられている。

東電の総合職でありながら、夜のお仕事を掛け持ちし、7000万円の資産があったとされる。

 

 

男性優位社会の歪みであると感じる。

この事件を詳しくは知らないが、不当に扱われることへの、ある種の抵抗であったのかもしれない。

 

 

 

日本は欧米と比べ、男女平等はほど遠いと言われている。

承認と貧困の相関については、議論が分かれている。

相対主義の学者は、絶対的な貧困を定義することはできないと言う。

しかしながら、お金が得られない、寝る場所がない、食べ物がない、こういった中核的な貧困はあるはずだ。

 

 

 

現実をみれば、非常に複雑である。

ただ、承認を突き詰めれば「差別」「偏見」につながる。

そして日本にも浸透しつつある能力主義は「機会平等」を無視せずに論じられない。

機会平等はまた、「差別」「偏見」を無視せずにはいられない。(ルッキズムなど)

 

 

 

あらゆる問題が円環のように、かつ複雑に絡まっているようにみえる。

僕はこの問題を「難しい」からといって無視せずにはいられない。

 

 

つづく