これから書くのは、もし読書がつまらなくなってしまった自分へのメッセージである。
決して自己啓発的な、ハウツーにならないように留意する。
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・小説を読むことは時に映画以上の感動をもたらす
映画は長くても3時間である。
ところが、小説は3時間では読みきれないことが大半である。
これは、換言すれば、物語と向き合う時間が相対的に長いことを意味する。
映像を眺めつづけることと、文字を追い続けることは、それぞれがお互いに異質の経験である。
小説には退屈がつきものかもしれないが、夢中になって読みきったあとにはなんとも言えない充足感、カタルシスを覚えることがある。
これが、想像以上に心に影響を与えることがある。
これが何を意味するのか。
そもそも、人はどのようなときに本を読むのだろうか。
それはただ「読みたい」からではないだろうか。
しかし、その「読みたい」という状況にどうやって持っていくのか。
これはハウツー本にはまず書かれていないだろう。
僕の経験からすると、物語 (時に伝記) を読み終えた翌日も、なんらかの感情をひきづることがある。
よくも悪くも、それは自己の精神になんらかの刺激を与えるものとなる。
しかし僕は、この自己のわずかな変化を見逃さない。
僕はtwitterで「多読とは好奇心の離散と収束の反復である」と書いたことがある。
例えば、「退屈だな」と感じているときは、まず収束の状態であると考えられる。
刺激が与えられ、好奇心のベクトルが変化し、「離散」へと向かえばまた読書に夢中になる準備ができる。
この反復が読書生活を充実するための一つの条件であるようにも思われる。
つづく