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婚活はネオリベラリズムの象徴という仮説 第2回

品定めをする側に立って考えてみた。

もし自分が小学生のあの頃に戻ったらどうだろう、と。

 

小学生は高級ブランドと、一般的なブランドの相場の剥離性を知らないことが多いと思われる。

何故ならば、お小遣いが少ないこと、行動範囲が狭いことから、そもそも高級ブランドのお店で、高級品の品定めを経験していないと思われるからだ。

 

そのことを鑑みると、小学生は価格を相対的に吟味することができないと考えられる。

しかしながら、それは高級ブランドを拒絶することを意味しない。

通常はあり得ないが、高級ブランドが身近にあり、1万円で処分セールをしていたと仮に想定するならば、おそらく小学生でも手が出るだろう。

小学生が行う消費行動は、良いものが買えそうな範囲にあるならば買う、と考えるのが妥当と思われる。

 

婚活参加者が品定めをする能力がなく、相場を知らないと仮定する。

そのときに、参加者は何を見て購入を決めるだろうか。

 

相場がわからないということは、相対性を考慮して考えることができないということである。

それが何を意味するのかというと、判断材料に相場がないということである。

相場を知るものは、買うか買わないか、それを合理的に判断できる可能性がある。しかし、買える場合においても、長期的なことを考えて買わない場合がある。

相場を知らないものは、とりあえず欲しいものが欲しいのである。欲しいものが買えない場合、次に欲しいものをまた見つけ、それが買えるなら、あとはその価格を考慮して買うかどうか決めるのではないだろか。

 

結論としては、品定めする能力のあり、なしでは、微妙に判断がズレるものの、大きな差は少ないと思われる。