読書とは、命題を買う行為とも言える。
普通に考えて、読めば賢くなれるわけではない。
本は未知なる食物だ。
意味を咀嚼し、吸収できる状態にし、栄養素となりエネルギーとなる。
噛むのは誰でもできる。しかしそれが栄養となるか、毒となるかは本人次第だ。
臓器が正常に機能して初めて食物が栄養となる。
臓器とは思考力。
さて、少し話が逸れたようだ。
命題。例えばどんなものか。数学の命題とはちょっとズレるが、まだ「解決していない」問題とも言える。
「転売行為を規制すると経済にどんな影響があるのか」
「<わかる>とはどういうことなのか」
「4以上の全ての偶数は二つの素数の和で表すことができるのか」
「善悪は何によって決まるのか」
明らかに素人には解けない問題は別として、今後生きる上で役に立つ命題はごまんとある。普段ぼーっとテレビを見ていると何も考えずに雑念だけが飛び交い一日が終わってしまう。しっかり休めればいいが、休みすぎてももったいない時がある。
人は身体を動かすことで思考が活発になるらしい。
散歩をするとき、考え事をする。そういう時間で何か新しい発想が出てくるかもしれない。本はクリエイティブな活動を助ける役割もあると信じている。僕はアウトプットよりインプット派だ。アウトプットが大事かもしれないが、敢えてインプットを多めにしている。
なので、読書は意味がある。そう思う。