参考記事
・・・・・・・・・・・・・・
答え:ブラックスワン。
世の中は確率で動いている、と人は信じている。統計のグラフ、計画のシナリオ、将来の見通し。だが、そのどれもが「稀にしか起こらない」ものを切り捨てる仕組みでできている。人間は頻度の高いものだけを見て安心する。毎日が同じように流れると錯覚する。だから、ブラックスワンが羽ばたいた瞬間、世界はひっくり返る。
ブラックスワン──「極めて稀で予測不能だが、発生したときには甚大な影響を与える出来事」。タレブがその言葉で示したのは、ただの金融現象ではない。それは人生の構造そのものだ。恋愛、失業、病気、革命。起こる確率は低いように見えても、一度起きれば「人生の確率分布」を丸ごと塗り替える。
日常は白鳥の群れに似ている。どれも似たように見え、退屈で、安全そうに映る。人は白鳥の群れの中に安心を見いだす。毎月の給料、毎日の満員電車、毎週の会議。退屈こそが安全であると錯覚する。だが、その群れの中に「黒い一羽」が混じった瞬間、世界観は壊れる。
ブラックスワンは「ありえない」と思われていた。だがオーストラリアで発見されると、その概念自体が瓦解した。つまり、人間が「絶対に起きない」と言い切ることこそが、最大のリスクなのだ。
金融危機はブラックスワンだった。9.11もブラックスワンだった。コロナ禍もブラックスワンだった。いずれも「予測不可能」と言われるが、実際には「予測できたが無視された」出来事だった。つまり、ブラックスワンの恐ろしさは「突然性」ではなく「人間の盲点」にある。
なぜ盲点が生まれるのか。それは人間が「便利さ」に寄りかかるからだ。便利な統計、便利なAI、便利な予測。便利なものほど「予測可能性の幻想」を生む。だが、その幻想が厚くなるほど、ブラックスワンの衝撃は強烈になる。
個人の人生でも同じだ。たとえば、毎日少しずつ貯金して「安全だ」と思っている。だが病気ひとつで、すべての貯金は消える。あるいは恋愛で順調に「小さな勝ち」を積み重ねても、突然の裏切りで全体が崩れる。人生は平均値で設計されるが、現実は外れ値で決まる。
つまり、人生の支配者は「稀にしか来ない」ものなのだ。人は毎日のように「平凡」に囲まれながら、本当に運命を変えるものは「滅多に来ない」出来事によって決定される。
ここでブラックユーモアを思い出そう。人は「絶対安全」と書かれた橋を渡るときに最も危険に晒される。なぜなら「絶対」という言葉が、最もブラックスワンを呼び込むからだ。
同じように、企業が「盤石な経営」を自慢すると、その瞬間に崩壊が始まる。国家が「永遠の繁栄」を宣言すると、その瞬間に崩壊が始まる。恋人が「絶対に裏切らない」と言うと、その瞬間に裏切りが始まる。
ブラックスワンは、常に「絶対」という言葉の影に潜んでいる。
では、人はブラックスワンにどう向き合うべきか?
タレブは「予測するな、備えろ」と言った。つまり、ブラックスワンは予測できない。だが「起きたときに壊れない仕組み」を用意することはできる。冗長性、分散、余裕、遊び。便利さと効率化は、こうした余白を削ぎ落とす。だから便利な社会ほど、ブラックスワンに脆い。
人間関係も同じだ。ひとつの会社、ひとりの恋人、ひとつの場所に依存するほど、ブラックスワンは致命的になる。だが分散していれば、小さな破壊で済む。つまり、「退屈な分散」が「退屈な安全」を守る。
読書の世界でもブラックスワンは潜んでいる。偶然出会った一冊が人生を変える。予定していた本ではなく、隣の棚の本に手を伸ばした瞬間、それが思想を決定づける。これもまたブラックスワンだ。誤配、偶然、寄り道。これらは「稀にしか起きない」が、起きれば人生の方向を根こそぎ変える。
だから、読書梟ワールドにおいては、ブラックスワンは「世界を変える鳥」であると同時に、「読書を変える鳥」でもある。狙ってはいけない、でも準備はできる。誤配に耐える棚、不便を許す空間、偶然を信じる心。
最後にもう一度、なぞなぞを。
「稀にしか来ないのに来ると世界を変える鳥は?」
答えはブラックスワン。
しかし実際には、すでにあなたの周囲に羽ばたいているかもしれない。あなたが今ここでこの記事を読んでいることすら、小さなブラックスワンなのだ。
なぜなら、稀な出来事が世界を変えるのではなく、稀な出来事だけが世界を変えるからだ。
さいごに・・・
あなたの人生のブラックスワンは、どこから飛んで来ましたか?