読んだ本
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メモ
なし
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日記
タイトルに惹かれたので読んでみることに。
何回も書いているように、自分としてはどうしても近代自我というもの、自意識というものに関心があり、つい関連付けて読んでしまったが、萩原朔太郎という人物に関心を抱いた。
なにもかもがうまくいかず、マンドリンを惹きつつも詩人として落ち着いた人物とされる。
・・・
時代には文脈があり、その文脈からはみ出る人間が適応障害と呼ばれるわけである。
その文脈は流動的で決して固定されているものではない。
従って本質的に言えば人間に不適応も適応も存在し得ない。
かといって、文脈自体が悪であるものではなく、人は絶えず文脈との相対関係にあるということだ。
普通の人、というのはある意味文脈に染まりきっていることと言える。
個性がない、ということは自身が文脈と重なりすぎているということだ。
もっと抽象的なことを書くとすれば、文脈もまた別の文脈との関係で意味が決まってくるものである。
それが意味するところはつまり、ひとつの文脈のみではそこに普遍性はないということだ。
ねちねちといろいろ書いてしまったが、要するに文脈は多様であるということである。
そこを忘れないようにしたい。
そして萩原朔太郎の本に興味がわいた。