今日は池田晶子『無敵のソクラテス』にて、哲学の最終到達点について語られていた。
結局のところ、それは「知らない」ということを「知る」こと。という、逆説めいた教訓を得る。
これについて思うところがある。
岡本太郎は「積み下げ」を推奨している。積み上げるなんてもってのほか、人生は常に無条件に運命に楯突くものだ。そのように語る。
池田晶子氏のそれとは別の意味かもしれない。
しかし、部分的に共通点はあるように感じた。
人は積み上げることによって物事をある程度知った気になる。
自分についても同様で、これはある意味落とし穴でもある。これは気をつけねばと思う。
哲学は人間は何について知らないかを突き詰めるプロセスでもある。
知れば知るほど、物事は余計に不思議になり分からなくなってくる。
ただ、何が分からないのががしっかり分かれば、それはそれで良いのかもしれない。
世の中に絶対はなく常に曖昧で相対的「かもしれない」が、それでもうまく回っているの「かもしれない」。
つづく