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読書日記393

ランクル『虚無感について:心理学と哲学への挑戦』のつづきを読む。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

74ページにはロゴセラピーの本質について書かれている。

 

 

”ロゴセラピーの考えでは、自己超越は実存の本質である。実存とは、それがそれ自体ではない何かを示す程度において、真正の実存となる。人間であるということは、それ自体の意味になるとことではないし、人は決して目的への手段とみなされるべきではない。とするならば、このことは人間は自らが目的であり、人は自分自身を認識し実現するものであると私は言いたいのである。人は何ものかのため、あるいは誰かのため、つまりある理想のため、あるいは友のため、あるいは「神のため」に、まず自分を失うところまで達して初めて自分を発見するのである。もし自由に意味を選択することに専心することがないならば、人間は姿を消してしまうだろう。この自由の選択こそが強調されるべきなのである。"P74

 

 

フランクルは「意味」の充足が精神の健康になることを力説する。

 

 

今日読んだ箇所は非常に奥の深いものであった。

「人は決して目的への手段とみなされるべきではない」

これは何を意味するのだろうか。

 

 

この本が書かれた時代はサルトルカミュ等が小説で表現した「実存主義」の時代でもあった。

私は、フランクルのいう「実存」とこの「実存主義」はほぼイコールであると考える。

 

 

仲正氏によれば、ポストモダン実存主義以降の思想のことを指すとされる。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

そして、ポストモダンが行き詰まっていることから「ニヒリズム」が蔓延している。

実存主義はどういった結末を迎えたのか。何故ポストモダンに置き換わったのか。

それに関しては触れられておらず、確認したいところである。

 

 

とにもかくにも、ニヒリズムは現代病とも言える。

生きづらさはおそらくニヒリズムのひとつの側面でもある。

 

 

意味の充足とは何か。

無意味を無意味であると認めることも一つの意味の充足ではないのか。

 

 

私はカウンセラーになりたい訳ではないので、ロゴセラピーの実践について学ぶ気はないが、「意味の充足」というものをもう少し学び、ヒントを得たい。

 

 

つづく