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読書日記288

色清『メディアは誰のものか:「本と新聞の大学」講義録』集英社新書 (2019年) を読む。

公共の利益についてちびちびと考えてきた。

いよいよ明日、公務員試験の面接をむかえる。

勿論、公務員になれるとは思っていないので、やれることはやる、それだけだ。

 

 

前回の記事で取り上げた本では、政府の発行する白書にバイアスがかかり事実がねじ曲げられていることが指摘された。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

また著者はNHKに対しても、「番組のなかで地球が危ないといった雰囲気を明らかに醸し出している」と批判する。

実際には1990年から30年で海面は9cmの上昇にとどまっており、明らかな被害を被った国は存在しない。

このようなファクトが本書では20個以上示されている。

 

 

脱炭素の嘘を書いた著者は番組を編集する人間の学識の無さを指摘した。

僕はそれを鑑み、ジャーナリズムの課題を別の視点から論じている本を読んでみたいと思った。

 

 

本書では、まず朝日新聞の記者との対談において、政府とマスメディアの関係について言及された。

確かに、安倍政権においては会食を通して政治的な談話があったと推測されるとのことであった。

本来、マスメディアは政府を「監視」する機能を持つはずである。

完全に癒着はしていないと述べ、たしかに監視能力は弱まっているという見解であるが、記者は常に真実を追求したいと思っているのは当然で、ニュースは「事実」しか報道しないということは鉄則である。

 

 

しかしながら、その「事実」の客観性はどうだろうか。

本当に事実であり真実なのだろうか。

 

 

最終的に判断するのは言うまでもなく「国民」ではないだろうか。

 

 

つづく