フラクタル構造の発見という、ある種のパラダイムシフトは古代ギリシャ哲学における、ソクラテスの言説を強化したように感じる。
「完璧に不正を遂行できる人間は幸せだ」という命題に対し、ソクラテスは人間と国家は相似していることを前提に、国家から人間を説明するという、壮大な思考実験によってこの命題を真剣に考えた。(プラトン『国家』)
ソクラテスは、国家の統治体制には5種類あるとした。
それと同じように、相似する形で人間も5種類に分類されるとした。
非常にうまく説明されており、世の中のあらゆる事象は「フラクタル構造」の法則に従っていると思わせる一冊であった。
また、去年はそんな「フラクタル構造」についていろいろとこのブログを通して考えた。
人間は言葉によってつくられている。
それを科学的に証明することはできないが、日々の雑念や思考、コミュニケーションは全て言葉を媒介として働く。
言葉は服のように、常にまとうものである。
人間は言葉から離れることはできない。考えないようにしても、考えてしまうようにできている。
汚い言葉を使うことは、汚い服を着ることと等しい。
言葉はつねにまとうもの、まとわざるを得ない。
汚い言葉を使うごとに身体は汚れ、いずれ汚物が体内に侵入する。
まわりの環境も汚物にまみれ、やがては体内を侵食し、破滅する。
これは詭弁だろうか。戯れ言だろうか。
否。
これは事実である。
つづく