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「原初的負債」という20世紀の罠

ちらのつづきを読み進める。

本日は第三章の終わりまでまとめる。

(※あくまで個人的に咀嚼⇒解釈⇒要約しているので、今後間違いが分かれば修正していく。)

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

二章では、あらゆる取引は「信用」で行われていて、そこに「貨幣」というものはなかったことが示された。

三章もまた、歴史的に国が貨幣を創造していないことを説明する。

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経済学者たちは「貨幣」が存在していなかったことを、どうしても認めたくない。

貨幣は国というものによって保証されていることを示したいとき、

つまり、「国家=信用理論」を説明する場合、貨幣が存在していたことを税のみによって説明できるかといえば、そうではない。

 

 

そこで信用理論者が「原初的負債」という理論を持ち込んでくる。

それは、負債の概念から税と貨幣の存在を結びつける巧みな仕掛けである。

 

 

中身はこうである。

サンスクリット語で書かれた宗教文献から、「負債=罪」の図式を持ち出す。

そして、生きることは罪を背負いづけること、つまり負債を負いつづけるということ。

信用論者はこの理屈を説得力ある形で突き詰めていく、

かくして、貨幣や利子ともに正当化されていく。

 

 

ここでグレーバーはメソポタミア文明の資料から反論する。

結論としては、あらゆる資料のなかをどう噛み砕いても、どう解釈しても貨幣の存在を認めることはできないということであった。

もし返済できない場合は物を取り上げられるか、最悪身体を売られることはあったにせよ、貨幣は無い、と。

グレーバーは、信用論者の主張には常に矛盾がつきまとうということを示す。

 

 

その後、原初的負債の考えが「社会」という曖昧な概念に利用され、「社会=国家」と変形し、今日の「国家というものが貨幣を造ったのだ」、ということを正当化する。

これをグレーバーは「20世紀の大いなる罠」と表現した。

 

つづく