完璧な人はいない、という言葉はいくらでも聞いてきた。
では問う。
完璧な価値観の組み合わせは存在するのだろうか。
人間とは価値観の組み合わせ、という表現は適切だろうか。
これは何を意味するのか。
完璧とはなにか。
そもそも、その言葉自体に矛盾が含まれていることを意味しないだろうか。
完璧な人間を記述することは可能か。
であればどんな人物か。
実は、人は完璧でなくてもいいよね、というメッセージとして受け取れば良いのではないだろうか。
それは何にたいして完璧でなくて良いのだろうか。
人生に対してだろうか。
仕事に対してだろうか。
ただ、完璧に近い仕事をする人はいるように見える。
職人がそうだと個人的には思う。
でもなぜ完璧な人とはいわれないのか。
それはつまり、日常的なある場面においては、必ずしも完璧とは言えない、ということだろう。
ということはだ。
あらゆる日常場面において、「完璧な行為」というものは、実は存在しないのではないだろうか。
それがあるとするならば、空想的に「完璧な人」という人物を設定することができる。
その性質、特性、価値観を記述することができる。
しかし実際にはできないだろう。
従って完璧という言葉自体に無矛盾性はないと考えられる。
つづく