中野信子/荒川和久『「一人で生きる」が当たり前になる社会』ディスカヴァー携書(2020年)を読む。
特段新しい発見はないものの、ある一つの哲学的問いを見出す。
まず、哲学者マルクス・ガブリエルが、「結婚も消費の一つである」と発言した話が挙げられた。
世の中は消費社会ということもあり、近未来は何事も消費と結び付いてしまう可能性が示唆された。
「そのうち愛も消費となる可能性がある」
ところが、愛というもに値段が付けられると、逆説的に愛というものの「価値」が無くなるのではと僕は考えた。
しかし、そもそも愛とはなんぞや、という問いも同時に目の前に立ちはだかる。
あらゆる行為の発火点 (≒動機) にお金というものが一切入り込まないような、そういう世界にのみ愛が存在し得るのか。
行為の結果がお金に帰結され得ない種類の行動のみが愛の必要条件となるのか。
掛け算は0を掛けた瞬間に0になる。
それと同じように、お金が介在することによって愛が無価値になるのか。
これは奥が深そうである。
つづく