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物々交換という幻想

レーバー『負債論』の第二章の中盤まで読み進める。

(非常にボリュームのある本なので、誤りを発見次第、訂正をしていく。60点をとり続ける気持ちで800ページを読み込んでいく。)

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

 

貨幣はいつ作られたのか?という問いに対し、アリストテレスは分業化によって、政府が介入する時に作られたと見解を示しているが、いつどのように作られたのかをハッキリとは示していない。

アダム・スミスは政府が貨幣を作り出したという考えに反対する。

スミスによれば、貨幣とは「人間の基礎」であり、政府はその「調整役」に過ぎなかった、と主張する。

 

 

ところが、スミスも証拠は示していない。

のちにあらゆる民族誌が、今日の経済学の古典で語られるような物々交換は存在していなかったことが明かされた。

 

 

物々交換を突き詰めると、単純な小さな世界においては、交換は成り立つ。お互いがお互いを欲するものを持っていることが想定されるからである。

しかし、ちょっとでも複雑化すれば、もはや二つの欲望が一致する確率が非常に小さくなる。

すると、相手が欲しがりそうなものを、いつでも交換できるように貯蓄しよう、と努めるようになる。それが「塩」であったとのこと。

 

 

それでも政府の介入なしには円滑に交換は進まない。

そして歴史的、人類学的に、その機能がうまくいったのはごくわずかな時期にしかないと著者は言う。

 

 

物々交換が存在していなかったということではなく、「経済学が語るような物々交換」は存在していなかったということである。

 

 

経済学はそもそも出発点が端からずれている、ということであった。

 

つづく