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野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』新潮新書2022年読了

故農家は儲からないのか。

原因はまずJAの「共選共販」というシステムにあるという。

農作物を一度JAに集め、「優」「劣」等にランク付けされ価格が決まる。

株式と違い協同組合は「一人一票」という原則、そして統一的な価格設定。

 

 

これが差別化を不可能にさせる。

誰が作ったのか、産地はどこなのか。こういう類いのものではなく、「どんな味」で、「どんな歯応え」といった類いものである。

お菓子は「パッケージ」化されているが、野菜はそうではないという理屈である。

 

 

まさしく、「どんなに頑張っても努力が報われない」という、共産主義的仕組みがあるのだという。

 

 

おどろいたことに、価格は「なんとなく」でしか決まらない。

小松菜が1パック1000円になる原理はそこから生まれない。

誰も買わない、ただそれだけの理由で。

 

 

打開するには「ブランド化」して野菜を高額にしなければならないというのが筆者の見解であった。

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僕はキャパ的に農業は難しいと感じた。

普通の工場であれば、例えばどんどん材料を流し込んで製品にする、この繰り返しをいかに早くするかで儲けが決まる。

ところが農作物は土に「固定」されているため、そこには流動性がなく生産性も低い。

ここに致命的な欠点があると僕は思う。

 

 

それこそアメリカ並みの広大な土地が必要だ。

農業は基本、質は量を上回らない。

ということで、それを逆転させるために、つまり「質が量を上回る」にはブランド化するしかない、という理屈には納得いく。

 

 

ここでも僕が考えずにいられないのは、

本当に必要な仕事ほど賃金が低い、という現実だ。

しかし、価格には決定的な要素が実はなく、実態は幽霊なみに曖昧で不透明というのが僕の見立てである。

つまりは主観的なものだろう。

法律も突き詰めれば最終的には根拠はなく、主観的なものであり、約束ごとにすぎない。

法律は物理的に、目に見えないものであるからである。

歯車がうまく噛み合っていないなと感じた。

 

 

そして、不合理な経済、という言葉がよく当てはまる事例だと感じた。

もう少し考えたい。

つづく