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人は意識せずには知らない物事に思考を通過させない

はあらゆる生活の場面において、人が部分的には「自動的」に動いてることを見てきた。

それはまあ当たり前なのだけれども、時にはそれがイライラの種になる。

ささいな争い事は大抵このことから生まれるのではないだろうか。

 

 

例えば駅のホーム。人が三人しか通れない狭い階段と上りエスカレーターしかないとき。

電車から降りた人が大勢上から来る。

この時、階段は下る人が占拠し、エスカレーターからしか上に行けない。

本来は階段で行けるように1ペース空けるべきなのだが、そんなこと人は考えない。

これはアフォーダンスというべきか。

 

 

また、近年自動改札機において、suica専用の改札が増えた。

ペラペラの福祉定期券しかない僕は、人が殺到するとしばらく通れないことがよくある。

ローカルな駅ではひとつの改札しか通れないのだ。

このひとつしかない改札を、駅から出ようとする人が占拠する。

ひとりが通り、またひとりが通り。

いつまでも僕は通れない。

 

 

 

この一連の流れは「自動的」である。

気遣いは、状況を把握しないとできないものである。

つまり、僕が通れない理由に思考を通過できていないのである。

 

 

気遣いとは、やはり学ぶことでしか達成はできないと、日常的な場面から教えてくれる。

僕も知らないことに思考を通過できていないことは山ほどあるだろう。

こんなことを考える僕は真面目すぎるのだろうか。

 

 

だからといって、じゃあもう自分を大事にして、気楽に生きていこうや、とは思いたくない。

そこに「悪意」はない。

人は常に善良であることを僕は信じている。

ここに、希望がある。

つづく