絶望と笑いが対照関係にあると僕はみる。
M-1で優勝した錦鯉は「おバカ」キャラに突っ込みを入れる形であった。
松本人志氏は、迷った挙げ句、最後は一番バカだと思った人に票をいれたと言った。
ただ、笑いは非常に複雑であると思われる。
しかしながら、まずひとつの性質として、タイトルが挙げられる。
例えば、誰だって禿げたくはない。
禿げ上がった頭に絶望している本人の外では、それを茶化しにかかる人もいる。
絶望の反対は笑いではないか。
そこには主体/客体の二分法が存在する。
つまり、絶望を「客体化」することで笑いに変換できる。
自虐ネタとはこのプロセスであり、自分を客体化させることによって絶望から回避できる。
絶望から脱するヒントがお笑いにあるように僕は見える。
繰り返すが、それは絶望を客体化するプロセスである。
つづく